そうか、宮崎勤が殺されたか。
執行は17日(今日)なのか、執行したという発表が今日なのか、今ひとつ読み取りづらい記事ばかりだ。仮に今日であったにせよ、この鳩山法務大臣の死刑執行が群を抜いている点に危うさを感じる。もちろん、宮崎を死刑にして文句を言われる執行人は世論からいえばいないだろうが、何故この時期なのかに引っかかるものを感じる。悪意を持って疑うわけではないが、加藤容疑者が秋葉原で大量無差別殺人を起こしたことと無関係ではあるまい。たぶんに政治的なけ死刑執行だと思う。へそ曲がりだろうか。こんな執行が犯罪の抑止になんかなるものか。
今から18年前、宮崎が捕まりその住居(ビデオ6000本、マンガの山)から、2次元コンプレックス+ロリコン+オタクというイメージやらが犯行の異常性の原因でるかのように短絡的にひとくくりにされてしまったが、そう簡単に「心の闇」とやらが繙かれるはずもない。分析が正しく、適切な対策が講じられていれば、その後次々に起こっていく神戸の首切りや17歳のバスジャック、少年による幼児突き落とし、小学生女子の同級生殺し、池田小の殺傷事件などなど多くの「世間を震撼」させるような事件は起こらなかったはずだ。簡単に彼らを異端としてはじき出して一安心を決め込んできたが、それが間違っていたことの証明に他ならない。ずっとそう思ってきた。
だから、宮崎が捕まった時に「残念だけど、これからもこういう事件は起こる」と、お客さんに言ってしまったのだ。時代が、彼らを生み出している。人間の扱われ方が酷い状況になっていることが背景にあると俺は思っている。ただ、こんな物言いは即効性はなく、しかも責任は拡散してしまう。政治的にはなんのインパクトもないので政治家もそんなことはいわないで、どこな手近に悪者を作って責任を押しつける。
もし自分が宮崎の家の隣に住んでいたら、こんな方向に行かないように日頃から関わってやれなかったのか、とは考えられないだろうか。自分にも責任の一端があったかもしれないと妄想に近くても想像力を働かせることもあっていいのではないか。宮崎を殺しても、加藤の事件は消えない。これからもまた起こるのだろう。
