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昨日はつかれた。
朝4時半に起きて慢架を2回練習したからと言ってあれほど疲れるとも思えない。
暑い午前中に1時間半、父親を伴って散歩・買い物したからといってあれほど眠くなるとも思えない。
4時から7時まで、半年間行けなかった友人宅へ見舞いに行ったからといってあれほど夕食後につかれと眠気でどうしようもなくなるとも思えない。
この半年間の疲れが、ここへ来て一息ついたタイミングでじわじわとしみ出してきたのかもしれない。そういうことがあればの話だが。

今日の練習
9:00~12:00 教室
講義 陰陽五行二相 とくに<土>の動きについて
慢架
修正 左分脚から轉身蹬脚へいくときにクロスする腕
   (左手内側に右手首内側をあわせる)
   高探馬のから分脚にはいるとき上体が前傾している。
   (将展未展をしっかりとってから次の動きにはいるように)
   下勢の入り方
    (右腕は肩を張らずに充分に引き広げる。そのあと腰を落とす)
推手

ここ数回、陰陽五行二相についての説明を聞いてきたが、これによって架式の一つひとつの重みというか注意すべきポイントというか、とにかく動きのパターンが明確になり、同時にここはこう言う動きになるはずだ、こうなるべきだと自分でも考えられる材料を得た気がする。
先生への質問もより具体的で的を絞り込んだものになるので、慢架練習の精度もあがるだろう。


それにしても、伝統武術は奥が深いというか面白いとつくづく思う。
中国武術だけでなく、おそらく日本の古流の武術や沖縄の古い空手なども、独特の指導方法や習得の段階があって、それは近現代のいわゆる学校で行われるような学習とは本質的に違うものをはらんでいる。
目に見える形で誰も同じ階梯を経て進むと考えがちな、お勉強を習う意識で取り組む者はおそらく途中でやめるだろう。学習法が合わないとか、教え方が遅い、プログラムがなっていない、などなど支払った対価に見合った結果が想定された期間内で得られないとお買い物としては不成立、なのだろう。だが、どうやら稽古・修行といったものはそういった者とは根本的に違うところにある。一見非科学的、不合理、非効率的に思えるかもしれないが、学ぶと言うことが本来ものすごく能動的であるのだ(表面には相見えないかもしれないが)という事実をわすれているのだろう。そして能動的な学習は、恐ろしい数・とんでもない試行錯誤をものともしないのめり込み、好奇心に満ちた回り道や道草によって裏打ちされている。
と、確信を持っているかのように打ち流してきたが、単に、いまそう感じたことを綴っている。何の根拠もないことを最後に断っておく。
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おさらい

疲れた ねむい

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