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先週は雨で使えなかった公園だ。
桃の花がきれいに咲いていた。
白い小ぶりな花は李(すもも)ではないかと。
そのほか、いろいろな野鳥がやってくる。
季節が良くなってきて、この練習場所に来るのがとても楽しみになっている。
花も鳥も木も。

最初に目に飛び込んできたのはアトリの群れ
2017.04.02 (14) アトリ
人が来ると欅の梢に上がって一時避難。

2017.04.02 (28) アトリ
人気がなくなると梅や桜の木に下りてくる。
そして地面の落ち葉をひっくり返したりしながらエサを探す。

2017.04.02 (20) ツグミ
手前にいるのがツグミ。奥で正面を向いているのが椋鳥(ムクドリ)。

2017.04.02 (30) コゲラ
かなり至近距離によれたが一つ所にいないのでいい写真は撮れなかった。コゲラ。


で、今日の練習 
9:00~12:00 教室
講義 前進後退 左顧右眄 どちらも同じ速さで
慢架 いつもよりゆっくりめ
推手 自分から動かない
修正 搬攔捶の右拳の位置・出し方など
質問 落胯垂臀について

練習のはじめに交わされたやりとりでものすごく大切なことを教えられた。
あまりに大切で重要なことなので、間違ったことを書いてしまうことへの恐れもあり、軽々に書き散らすことはできないのだが、あえて書くならこんな感じか。
「我々の呉式太極拳で展開を求めないのはなぜか」
大きく動けば(まだ大きく動ける身体になっていない段階では)、基本的な要求を守れない。
六点、四点の一致。
身体全体が均等に動くこと(前進後退と左顧右眄の動きとに速度の差があってはいけない)。

「動きを小さくすることで何を得られるのか(そのためにどうすることが必要なのか)」
一番動かしたいのは腰椎の関節(その上下の胸椎や仙骨との関節、さらには仙腸関節まで)だが、日常ではあまり動かせていない。むしろ股関節や膝、足首のねじりによって左顧右眄をごまかしている。
だから、骨盤と肩の関節に制限をかけ、腰椎が動かないことにはどうしようもない状況を作り出す。
それができれば、滞りのない動きが得られる。

というようなことを説明された。
ものすごく腑に落ちた。

動ける身体を作るために「動かしやすい部分をあえて抑える」ことで、「ふだん動かしていない部分の出番を強制的に作る」のだ。
そして、要求を守って動いているうちに、ふだん使えていない部分が徐々に動き始め(機能し始め)る。
すると、おそらくだが、またさらに厳しい要求が課される。
その繰り返しで、身体ができてくるのだ。いわば、基礎ができた段階と言うことだ。
そうなると、さまざまな勁力が身につき、用法などは自然とついてくるのだろう。
というか、用法などはいくら形を学んでも、身体ができていなければ何の効き目もない。
生身の相手に通用するものにはならないのだと思う。

推手は、身体ができているかを実感しつつ感覚を磨く訓練といってよいだろう。
(いってよいのか???)


今日の練習 2 
17:50~19:12 公園
慢架 2回
教室で学んだことのおさらい。
多くのことを学習したので、メモを見たり、やったことと言語化するのではなく、実際に動いて身体に落とし込まないと落ち着かない。 
とくに、ろう膝拗歩などで前に打ち出す掌は、しっかり肘を脇腹にあてて、眼前の景色が見えない位置に出していく。
一つひとつの動きを丁寧に。

今日の教室は楽しかった。
知りたいことをきっちりと学べたことと、自分の理解がある程度正しかったこと。
呉式太極拳について、自分なりに理解が進みつつあると実感できたこと。

いくらやってもきっと興味は尽きず、探求していかなくてはならないことがいくらでも目の前に現れてくる。
何とも楽しいではないか。
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朧月夜に満開の桜

とうとう四月

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