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年のせいか、自分というのは親や、その親、さらにその親と、代々受け継がれてきた遺伝子(血といってもいい)を次の代に受け渡すための入れ物というか、そんなものなんじゃないかと思うようになってきた。

自分は何者かになるために生まれてきて、努力していろいろな力や知恵やらを身につけて、とにかくいわゆる成長というものをして自分の付加価値をいかに高めるかに、かなりの価値をおいて生きてきた。
そんな気がするし、それが生きることだと思ってきたみたいだ。
でも、どう頑張ったって、次に続くものを確信できなければ、おそらく安心して死んでいけないのだろう。
自分がどれだけのものを積み上げようが、自分の子どもやあるいは自分の志を引き継ぐものがいなければ、深い悲しみと絶望感のなかで死を迎えることになる。

偉そうに言ったって、自分の代でストップすることの罪深さというか恐ろしさというか、そんなものを感じることになるだろう。

自分が最後ではいけない。自分の代で絶やしてはいけない。

自分が生まれてきたのは、ひとえにそのつながりがあったから。
さまざまな恩恵にあずかれるのは、それを積み上げてきた人がいたから。

次の代に引き継ぐ価値のあること、価値のあるもの、それをしっかり見据えること。
遺さなくてはならないもの、残してはいけないものをきちんと見分けること。

自分にできているわけではないが。


今日の練習
22:00~30 室内
丹田功
ちょっと我流になっているかもしれない。
怖いところだ。
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雑感

ぶらり初詣

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