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思い込み、偏った情報。
気をつけたい。

週間金曜日(9/13号)によると、8日の新宿周辺の警官隊(機動隊だった)多数出動の理由は、日侵会(日本侵略を許さない国民の会)のヘイトデモとそれに対するカウンターデモへの対応だったらしい。

口汚く隣国や在日朝鮮人・韓国人・中国人をののしる、あるいは自分たちと違う考えをする人たちには「非国民」とそしる、あのどうしようもない行動は、オリンピック招致活動中はなりを潜め、決定を待って再会するとは聞いていたが、それがあの「警官隊さわぎ」の正体だった。

この日、日侵会のヘイトでもグループは「表現の自由」を逆手に取り、(とてもまともな表現には思えないが)機動隊に守られる形で街に出ていったそうだ。


憲法に保障された表現の自由とは、もっと良識のある時代、日本人を想定して保障されたものだろう。
こんな卑劣で下品な日本人の誕生を憲法は想定していなかったに違いない。
だからといって、憲法を変えて“こういう”人々の自由を制限しろと私は言わない(言いたくてしょうがないが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」である)。

“こういう”人はいつ誰に覆い被せられるかしれないのだから。

私は理想的なことを言っているかもしれない。
だが、『かかる理想の実現は「教育」によらねばならない』と憲法前文でも言っている。
と記憶しているが…。
それに、なだいなださんが著書の中で述べていたことばがある。
記憶だけで書くので間違っているかもしれないが大筋は正しいと思う。

理想というのは導きの星(昔、船乗りが夜間の航海で目あてにしていた北極星)のようなものだ。
あの星を目指して進めとは言うが、誰もその星に行けるなどとは考えていない。
ただ、その星を目指して進むことで、自分たちは行きたいと思っているところにいける。

理想を“現実的でない”と笑うものが居る。
だが、星を目指しても星に着かないとを笑うものはいない。
だが、それによって、私たちは間違った方向へ進んでしまうことを避けられるのだ。

辛抱強く理想を追うことを恥じてはならない。
現実というものに付き従うだけの、何の叡智も努力もない営みを「現実的」だなどとしたり顔で言うなかれ。

今日の練習
21:10~50 室内
腰割り
股関節ほぐし
片脚立ち
丹田功

今週は余り体調がすぐれず、頭痛や腰痛に悩まされた。
腰痛と言っても、鋭い痛みではなく、仙骨周辺に鉛の板でも張り付けたような重さが始終感じられて、それなりにしんどかった。
また、後頭部から首、肩のこりもひどく、苦しさを感じるほどだった。

それだけではなく、ここしばらくはなかった足首の違和感、足の裏のうずきもあり、どうも6月頃の不調を思い出させる。
何かを引き金に疲れが表に出てくる、そんな感じだ。

もしかしたら、作り直した眼鏡のせい?
いや、そんなことはないだろう。
むしろはっきり見えて楽になったくらいなのだから。

まあ、ストレスがないと言えば嘘になるが、それが原因とも思えない。
小金井時代の疲れが、時々思い出したように吹き出すのだろうか?

なんだか昔の仲間に会いたくなった。
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やっぱり馴染む

70%はやっぱりうそ?

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