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8月13日に宮崎駿の『風立ちぬ』を見た。
考えてみたら、映画館に入るのは『崖の上のポニョ』以来だと気づく。あ~あ。

で、『風立ちぬ』を見終わって最初に思ったことは、「わからん。一回見ただけでわかる映画じゃない。こちゃあ、DVDでも買って、繰り返し見なくてはダメだ」ということ。
もちろん、見ていた面白かったし、映像としても楽しめた。
新しい試みも、細かい作りこみも、宮崎アニメらしくてよかった。

ただ、いろいろな仕掛けは、一度見ただけで把握できるものではない。細かいところまで見ていかないと、この作品を観ることにはならないだろう。


かつて、『もののけ姫』のあとも、「俺は一体何を観たのだろう。こいつはいったいなんなんだ?」と思ったし、その後、迷わずビデオを買った。
そんな思いを抱かせたのは、その後十数年の間なかった。

反原発、反戦(というか厭戦、嫌戦)を明確に謳うジブリ・宮崎がゼロ戦というのも、「子どものための」「家族で安心してみられる」という路線から行くとちょっと冒険だし、結核の妻の枕元でタバコを吹かす当たり、えへへ、やったいましたねぇと思う部分もあるが、自分の作りたいものを作ったのだろうという点で、『紅の豚』に通じるものも感じつつ、もっと訳のわからない何かが宮崎駿の中にあったのだろうと感じた。「ものつくり屋」の業というか狂気というか、得体の知れない何かに憑かれて<矛盾を矛盾のままに>作品を生み出すと言うことが作家にはある。と思う。

そう言う意味では大変満足。DVDの発売が待たれる。

で、駅ビルで買い物をしたあと、ばったりと新島小学校の先生をしておられたJさんと会った。
ちょっと気になっていたので簡単に訪ねてみると、定年を前にご退職なさったそうだ。
ああ、Jさんにとって学校という場所が息苦しい場所になってしまったのかな?あるいは身体を壊されたのかな?などと思うところはあるものの、その辺はまたお会いした時にでも問わず語りにでも伺えればいい。


そして翌日、大学時代の悪友と飲もうじゃないかと言うことになっていて、でもその前に『標的の村』を見ていこうと、正午前の中央線に乗り、空いている座席に座りしな隣の席に座っている人に何気なく視線が行くと、今の職場でのお客さん家族ではないですか。

どうも、映画を見に行こうとすると遠い昔の知り合いにあったり、今のお客さんにあったりと、なんだか不思議。


さて、その映画『標的の村』だが、「この国って一体何だろう…」、「俺は知らなさすぎた。」「こんなことがまかり通っていいのか!!!」と腹が立ってしかたなかった。見終わった時には他の観客からも呻くような「う~」とも「ん~」ともいえない溜息まじりの声が漏れだした。
 (ドキュメンタリー映画だが、本当に大切なことは大手のマスコミでは表に出ない。出さない。取り上げようとしない。これ、NHKでゴールデンタイムで放送しなさい!)

40年前、東村高江地区で「ベトナム村」という、ベトナムのジャングルや集落を模した借りの集落を作り、地区に住まう住民をベトナム兵役に雇い、彼らを相手に捕まった仲間を救出する訓練や捕縛する訓練を行っていたという。しかも、施設を作る段階かどうかはっきりしないが、「枯れ葉剤」を撒いたというのだ。

沖縄戦で銃を向け、ベトナム戦争でまた銃を向ける。ベトナム兵として追い回され、とらえられる役を負った人たちは…。

そして、この5年間で、今度は高江地区周辺を軍事施設で囲み、超低空で村落の上を飛び回り、目視で住人の動きを確認、(そして、イメージの中で照準を合わせる…)。
かつて都市型戦闘訓練施設を作ろうとして断念した彼らは、今度は住民が生活している村落をそのまま山間集落攻撃のダミーとして使おうとしている。

ジャングルでの戦闘訓練施設は、なんと世界中でここだけだという。
ジャングル内での訓練施設は村を取り囲み、しかもフェンスも何もないという。庭先に迷彩服を着た米兵が、茂みから姿を現すこともよくあるという。
こんなことが、アメリカの国内で起こったら大変な騒ぎだろう。
しかし、日本では当たり前のように…いや、沖縄ではと言うべきだろうか、こういうことが繰り返される。
なめくさって…。

しかも、反対運動をしている地域住民をなんと「国が訴えた」。
裁判という圧力をかけて、時間と金と精神力と体力をこそぎ落としていこうというなんとも姑息なスラップ裁判。
それに乗っかって、とうとう1人を有罪判決(座り込みを道路交通法違反としてしまった)。

金曜日のデモにもテントを張るのを不法占拠として訴えている経産省。これもスラップ。
早く、この恥知らずな手法を禁じる法律を作らせないと、本当に何も言えない社会を作られていきそうな気配をひしひしと感じるし、<国>という奴らのどうにも食えない本性にまた怒りを感じる。

そして、昨日の終戦記念日。
安倍総理の式辞には、歴代の政権が引き継いできた歴史的な判断をちゃぶ台返しのように放り投げる無節操と社会に対する無知、傲慢、狂気があふれている。
麻生がああいうことを言えるのも、この総理あってのことだ。

ヘイトスピーチデモに多く加わっている若年層も、ヨーロッパでのネオナチに通じる危うさを感じる。
安倍総理もその先端かもしれない。

エジプトも危ないことになっているし…。
不寛容、思考停止、憎悪、怒り、、、、。


ああ、ぼやきと憤懣とをダラダラと綴ってしまった。

これではなにが「そうけんにっき」なのかとおもってしまう。

あ、そうだ。昨日地元の本屋に行ったら、あるじゃん、『李保華 馬貴派八卦掌』DVD。

買おうかと思って値段を確認したら、ちょうど財布の中身を越えていて元の棚に戻した。
買っておいてもいいのだろうが、正直、観てわかる部分はほんの僅か。
 
映像は使い方の問題なのだろうが、微妙だ。考えとこう。

で、今日の練習
18:40~19:25 室内
腰割り
股関節ほぐし
片脚立ち
龍形の立ち
大起式(八十八式)
丹田功

久しぶりに龍形の姿勢を取ってみる。
狭い部屋の中なので走圏はできないが、この姿勢はやはり馴染む。
思えばちょうど10年前、甲野善紀先生の朝日カルチャー、古武術講座に参加した縁で馬貴派八卦掌の講習会に誘われて、会場の近さもありひょいと参加し他のがことの始まり。
えらく面白くなってしまい、どっぷりはまってしまった。

あれから10年。様々な変転、紆余曲折。
太極拳、八卦掌、戴氏心意拳とやってみた。
合気道にも興味を持った。
本当に、あっという間の10年だった。
その、終わり2年で原発事故。
職場のあれこれ。撤退戦。

………もう、それ以前には戻れない。全てが変わった。変わってしまった。

変われないのは、自分の身体。
少しは変わってきたのだが、10年という時間を考えると何も変わっていないに等しい。
もっとも、この2,3年は何もしていないようなものだったのだから、10年やってきたとは到底言えない。時間だけが過ぎた。

ちょっと、下向きモードになってしまった。まあ、そんなところ。

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