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「浜岡原発 すぐ止めて!」という市民集会とデモ(4.10東京)に参加してきた。

原発止めろ

日頃、『原子力資料情報室』をもっぱらのぞいているが、そのHPに、このデモのリンクがあったのだ。
他からも、浜岡原発の危険性を訴える声を聞いていたので、やはりこれは相当にヤバイものだと感じ、居ても立ってもいられない気持ちになって、当日、集会のある芝公園へと向かった。誰を誘うのでもない。誰に誘われたのでもない。何かの団体に所属して参加したわけでもない。ただ、このまま黙っているわけにはいかない。何か行動を起こさなくては、子どもや次世代に申し訳が立たぬ。その一心だった。

会場では、池田香代子さん(ドイツ文学翻訳家)、塚本千代子さん(浜松原発を考える静岡ネットワーク)、向井雪子さん(チェルノブイリ子ども基金)、阪上武さん(福島老朽原発を考える会:ふくろうの会)のほかに、中部電力に浜松原発を止めて頂けませんかと菜の花を届けた女子大生(当時は静岡に住んでいて、高校に通っていた)とおばちゃんペア「なの・はな」からの発言があり、その場にいて声を聞く事の意味を改めて感じた。
このとき聞いた「あの日以来、私たちの命はうっすらと軽くなりました。」と言う言葉が耳に残っている。

2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (5)2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (15)
2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (17)2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (12)

やはり、どう考えても原子力発電は止めるべきだ。
仮に安全に運転したにしても、使用済み核燃料を何百年も管理し続けなくてはならない。
こんな負の遺産を顔も見たことのない世代に押しつけて、それでいいのか。


福島の原子力災害の一刻も早い収束が急務だが、事態の収束には数が月と言われ、たとえ収束しても、その後の長い「危機」管理は、もはや避けられない現実だ。
うんざりするくらいの長い時間を、放射線の被害におびえながら、暮らして行かなくてはならない。だが、そのことは甘んじて受けようと腹を括った。俺にはその責任がある。

福島原子力発電所の電力は首都圏で使うためのものだ。
本来なら「東京に原発を!」作るべきだったのだろう。
なぜそれをしなかったのか。やばいと分かっていたからだ。
そして、重大な事故が、いつかどこかで起こりうると、誰もが思っていたにちがいない。
それを追認してきた自分、50年近く生きてきた自分には、この事態を引き受けて生きる義務がある。

それは仕方がない。
しかし、静岡県の御前崎市にある浜岡原発は、事が起こる前に止めることができる。
福島の二の轍を踏まず、一国で二つ目の「レベル7」になることを避けるには、もはやこれしかない。
                 
中学生の子どもがいたら理科の教科書で地震の項目を見るといい。
そして、社会科の地図帳でも広げて、日本の発電所のありかを見てみればいい。
いやな汗がじっとりと出てくるだろう。
地震の巣の真上に、浜岡原子力発電所が建っていることがはっきりわかるからだ。

もし、ここが直下型の地震を受けたら、今回の福島第一とは明らかに違った形で大災害になる。
津波が来る前に複雑に入り組んだ配管は壊れ、緊急停止の機能すら働くかどうか分からない。
複雑な計器は配線が切れたら直しようもないし、計測データも読み取れないだろう。
もう、処置なしになることは火を見るよりも明らかだ。津波も当然襲うだろう。
素人の自分があれこれいうまでもなく、浜岡がどれほど危ない立地にあるかがわかる。
また、事故の際の放射能が僅か数時間で首都圏に届くとも言われている。

避けられることは避けたい。
関東一円が、何十年も封鎖されるようなことは避けたい。
いや、避けねばならぬ。大人には責任がある。これから生まれてくる、私たちに続く子孫たちに対して。

2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (20)2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (22)2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (23)2011.04.10【浜岡原発をとめろ】 (21)2011.04.10【浜岡原発をとめろ】

長くなった。書きだしたら止まらないので、とりあえず。

4月12日の練習

22:45~23:15 室内
片脚立ち 15分
丹田功 15分
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4月13日という日

春はいつ来るのか

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